その8分のあいだに、液滴の中では流れのかたちが入れ替わっていく。最初はいくつもの小さな渦が乱れ回る。次に大きな循環流へ整理されるのだが、その循環は途中で向きがそっくり反転する——界面に沿って外向き・基板に沿って内向きに回っていたものが、基板に沿って外向き・界面に沿って内向きへ変わるのだ。そして最後、エタノールがほぼ飛んでしまうと、外向きの流れだけが残る。論文がとりわけ注目しているのは、この符号の逆転した循環流が続けて現れるという点だった。
なぜこんなに騒がしいのか。エタノールは水より速く蒸発し、表面張力も低い。だから液滴の中には濃度のむらが生まれ、表面張力の差が液を引きずり回す。いわゆるマランゴニ効果だ。グラスの内壁を伝う「ウイスキーの脚(レッグス)」を作っているのと同じ力が、乾きかけの一滴の中でも働いている。
そしてこの絶え間ない撹拌のおかげで、粒子は縁へ一方通行で運ばれることなく、最後まで混ぜ返される。コーヒーリングができない一つ目の理由がこれだ。
だが論文の本題はここから先にある。エタノールと水を35対65(重量比)で混ぜただけの液体では、均一な堆積にはならないのだ。マランゴニ効果だけでは足りない。
そこで研究チームは、ウイスキーを完全に乾かし、残った残渣を脱イオン水に溶かし直して表面張力を測った。結果は60.5 mN/m。蒸留水の72.0 mN/m より、はっきり低い。石けんを溶かしたときと同じ挙動である。つまりウイスキーには、界面活性剤として働く分子が実際に溶けている。
その正体として論文が最有力候補に挙げるのが、原料穀物に由来する天然のリン脂質だ。大麦、小麦、トウモロコシ、ライ麦——これらの穀物のリン脂質がウイスキーから検出されており、界面活性剤の供給源として最も可能性が高い、と述べている(存在そのものは実測されているが、出どころのほうは仮説である点は押さえておきたい)。
研究チームは最後に、この理解をもとに「ウイスキーのように乾く液体」をゼロから設計してみせている。エタノールと水の混合液に、界面活性剤(ドデシル硫酸ナトリウム)を0.05重量%、ガラス面に吸着する高分子(ポリエチレンオキシド)を0.05重量%。たったこれだけで、ほぼ均一な堆積ができた。逆に界面活性剤を抜いてポリマーだけにすると、接触線に沿ってくっきりした一次リング——まさにコーヒーリングそのもの——が現れる。界面活性剤が、粒子が縁に溜まるのを防いでいるわけだ。
ではもう一方、ガラスに吸着して粒子を捕まえる高分子のほうは、ウイスキーの何が担っているのか。論文はここで「ウイスキーはリグニンや多糖類といった天然の高分子を含んでいる」と述べ、それらが基板に吸着して粒子の保持に関与しているのではないか、と仮説を置く。リグニンは樽の木から溶け出す成分だ。
つまり、乾いたあとの跡を決めている二役は、片方が穀物から、もう片方は少なくともリグニンについては樽からやってきていることになる(多糖類のほうは穀物由来もありうる)。高分子の役割については論文自身が「我々は仮説を立てる」と明記しているので、断定はできない。それでも、麦と木がそろって初めてこの跡が残るという構図なら、いかにもウイスキーらしい。
話はここで、大西洋を渡ってケンタッキーへ移る。
ルイビル大学のスチュアート・ウィリアムズは、地元ブラウンフォーマン社の研究施設を見学していたとき、同社の研究エンジニアからこう問いかけられたという。「バーボンにコロイドがあるのを知っていますか?」
ウイスキーは水で薄めるとコロイド(微粒子の分散)ができる。おおむね46%を超える度数なら成分は溶けたままだが、それより薄まると濁りが出る。だからメーカーは濁度を監視し、活性炭濾過や冷却濾過で整える——ただしその加減は「レシピの一部」とされる職人芸で、色や風味にも響く。
興味を持ったウィリアムズは、ブラウンフォーマンから熟成年数の異なるウイスキーを一式もらい受け、コロイド科学者オーリン・ヴェレフのいるノースカロライナ州立大学へサバティカルに出る。本人いわく、ウイスキーを一箱抱えて研究室に現れれば第一印象は良かろう、という算段だったらしい。写真家がグラスの底の模様を持ち込んだのと、そう変わらない始まり方である。
ウィリアムズとヴェレフのグループがまず確かめたのは、バーボンでもスコッチと同じことが起きるか、だった。度数45%では、スコッチの研究と同じく均一な膜ができた。
次に、水で薄める割合を変えながら同じことを繰り返す。すると**アルコール濃度20〜25%**のところで、バーボンでは知られていなかった模様が現れた。細い糸を張り巡らせたような網目。彼らはこれを whiskey web(ウイスキーウェブ) と名づける。最初の報告は2019年(『Physical Review Fluids』)、その仕組みを詰めた論文が2020年の『ACS Nano』だ。
面白いのは、度数によって三通りに分かれることだ。ウィリアムズ自身が学会誌の解説記事に載せた図には、こう説明が付いている——高い度数では均一な膜、20〜25%では網目、そして薄めすぎると今度はコーヒーリングが出る。
その図に使われた一滴は、洗浄したカバーガラスに落とした1マイクロリットルのジャックダニエルだった。ブラウンフォーマンはジャックダニエルの親会社なので、これも自然な成り行きではある(なおジャックダニエルは規則上バーボンではなくテネシーウイスキーだが、解説記事では bourbon と書かれている)。どのボトルを使ったかまでは書かれていない。
網ができる筋道はこうだ。水を加えると、アルコールに溶けていた水になじみにくい分子——アルデヒド、エステル、フェノール類といった発酵由来の副成分(コンジナー)——が居場所を失い、コロイドの塊になる。最初の1分ほどでマランゴニ流がその塊を液と空気の境目へ運び上げ、そこで塊がほどけて脂肪酸の鎖になり、一枚の膜(自己組織化した単分子膜)に組み上がる。
やがて蒸発が進んで液滴の表面積が3割ほど縮むと、膜は行き場を失って皺になり、ついには折れ畳まれて座屈する。その折れ目が、網の糸として残る。
高い度数のまま乾かすとこの網目は出ない。薄めることで初めて構造が立ち上がる——ここは、加水すると香りが開く話と地続きだ。水を足すという行為は、味を薄めているのではなく、液体の中の分子の並び方を組み替えている。
そして興味深いことに、ウイスキーにリグニンを足してやると、線の数が増える。樽での熟成に結びつく成分を濃くすれば、網も濃くなるわけだ。
ここでリグニンは、二本の論文に別々の役どころで顔を出していることになる。プリンストンでは「ガラスの基板に吸着して粒子を捕まえる高分子」の候補として、ルイビルでは「気液界面に張る膜の材料」として。働く場所も仕事も違うのに、樽から出てきた同じ成分が二度呼ばれている。
この研究は世界中で報じられた。米国化学会の発表文にも「希釈したアメリカンウイスキーは網目を作るが、スコッチやカナディアンでは作らなかった」と書かれている。日本語で紹介されるときも、たいていこの一行が見出しになる。
ただ、時系列を追うと話は少し違って見えてくる。
- 2019年の先行研究(『Physical Review Fluids』)で「アメリカンウイスキーだけ」が示される。上のプレスリリースが引いているのは、この成果だ。
- 2020年の『ACS Nano』論文の要旨には、こう但し書きが入る。「我々の条件下では(1.0マイクロリットルの希釈滴、洗浄したガラス基板)、ウイスキーウェブは希釈したアメリカンウイスキーに固有だった。ただし、条件を変えれば他のウイスキーでも類似の構造が生成された」。
- 2021年、ウィリアムズ本人の解説記事は、その具体例まで書いている。予備的な結果として、カナディアン1本とアイリッシュ1本が、2マイクロリットルの液滴・度数40%のままで構造を作ったという。滴を大きくし、疎水性の表面を使うと、界面に集まる水に溶けにくい成分の濃度が上がって膜ができやすくなる、という理屈だ。
つまり「アメリカンにしかできない」を段階的に緩めてきたのは、報道ではなく著者たち自身である。日本語圏に届いているのは、たいてい2019〜2020年時点の見出しだけだ。
では、なぜアメリカンウイスキーがこの条件でいちばん出やすいのか。これは筆者の推測ではなく、著者が理由を書いている。樽の内側を焦がして熟成させるため、アメリカンウイスキーは他のウイスキーのおよそ2倍の懸濁固形分を持つ。その製法上の特徴が「決定的だろう」というのが著者の見立てだ(断定はしていない)。別の取材では、ウィリアムズは再利用ではなく新樽を使う点を挙げている。熟成を経ていないウイスキーで網ができなかったことも、同じ説明で通る。
例外もある。66本のアメリカンウイスキーを試して25%で網ができなかったのは42年熟成の1本だけで、著者はその原因を「界面活性剤が多すぎたのだろう」と見ている。界面活性剤には単分子膜の硬さを下げる働きが知られているからだ。膜が柔らかければ、縮んでも折れ目が立たない。
実際、バーボンにドデシル硫酸ナトリウム——プリンストンがモデル液でウイスキーの界面活性剤を再現するのに使った、あの分子——を足してやると、網はまったくできなくなる。矛盾ではなく、量の問題である。少なすぎれば均一な膜にならず、多すぎれば膜が柔らかくなって網が立たない。
ウェブ模様は銘柄ごとに違う。だから偽造品の識別に使えるかもしれない——というのが、この研究でいちばん広く紹介された部分だ。「9割超の精度で照合できた」という数字が独り歩きしている。
実際の実験はこうだ。同じバッチのウイスキーから10枚のウェブ画像を作り、円の中心からの距離ごとに網の密度を数値化して、デジタルの「ライブラリ」を作る。これを別の2銘柄でも同じように行う。そのうえで各銘柄15滴を新たに乾かして撮影し、ライブラリと照合したところ、9割の割合で正しく当たった。
つまり照合先の候補は3銘柄である。66本すべてを見分けたという話ではない。ロット違いや開栓後の経年でどこまで模様が保たれるかも、公表された範囲からは読み取れない。著者自身、機械学習を組み込んだより頑健な画像処理で精度を上げられるだろう、と将来形で書いている。
希少ウイスキーの真贋を判定する現在の切り札は、いまも放射性炭素分析だ。ウイスキーウェブは、そこに並ぶ鑑定法というより、AIが香りを予測した研究と同じく、ウイスキーという複雑な混合物を測る新しい切り口として面白い、という段階にある。
ありがたいことに、著者は「ウェブ画像はスマートフォンのカメラでも撮れる」と書いている。道具はほとんど要らない。水平に置ける透明なガラス(コップの底、時計皿、寝かせた窓ガラスなど)と、水と、スポイト代わりの爪楊枝かストローだけだ。
面白いのは一つだけ試すことではなく、度数を変えた三滴を並べることにある。
- 原液のままの一滴。→ 輪にならず、ほぼ均一な膜が残るはず(プリンストンが見たもの)。
- 20〜25%まで薄めた一滴。→ うまくいけば網目。40度なら水はウイスキーの0.6〜1倍、45度なら0.8〜1.2倍、50度なら1〜1.5倍が目安。
- 思い切り薄めた一滴。ウイスキーの3倍以上の水を足す。→ 今度はコーヒーリングが出る。なお原典は「低い度数では」としか書いておらず、具体的な数値を示していない。ここは筆者が当たりをつけた目安である。
いずれも一滴はできるだけ小さく。1マイクロリットルなら10分ほどで乾くが、余裕を見て30分は触らずに置き、斜めからライトを当てて覗き込むとよい。
論文の条件(洗浄済みのガラス、温度湿度の管理、顕微鏡)とはまるで違うので、教科書どおりの網目が出るとは限らない。それでも、同じ酒が、水の量ひとつで三通りの乾き方をする——これが今日のいちばんの持ち帰りだ。
試すなら、度数の違う二本を並べると分かりやすい。45度のメーカーズマークなら②はほぼ同量の水、50.5度のワイルドターキー101なら1〜1.5倍。小麦を使うウィーテッドとライ麦の効いたバーボンで、組成の対照にもなる。