本文へ移動なぜウイスキーの造り手は、あの一杯を飲まないのか——週に1,500を嗅いで、口にするのは1つ | Malt Noteバーのカウンターで、私たちは琥珀色の液体をゆっくり口に含む。けれど、その同じウイスキーの中身を決めた人の机の上には、色の薄い、水で割られた液体がいくつも並んでいた。そして日々の作業の大半で、彼らはそれを飲み込んでいない。
ウイスキーの造り手が日々やっている「味を見る」という作業は、私たちが家で楽しんでいることとは、ずいぶん違う姿をしている。この記事では、ブレンダーやマスターディスティラーが実際にどう香りと向き合っているのかを、本人たちの証言からたどってみたい。彼らの流儀を知ると、自宅の一杯の扱い方も少し変わってくる。
まず、その規模に驚かされる。
シーバスリーガルやバランタインを擁するシーバスブラザーズで長くブレンディングを統括してきたサンディ・ハイスロップは、米誌『Whisky Advocate』の2023年の取材にこう答えている——「週に1,500以上のサンプルを嗅ぐが、口にするのは1つくらいだ」。
嗅ぐ数と、口にする数が、1,500対1。ブレンダーという仕事の重心が鼻の側にあることが、この一行に凝縮されている。なお、ハイスロップは42年のキャリアを経て2025年12月にマスターブレンダーを退任し、2026年1月からは引き続きシーバスブラザーズでマスターブレンダー・エメリタスを務めている。後任はケビン・バルムフォースだ。
バランタイン ファイネストBallantine's Finest
🏴 スコットランド ・ ミルトンダフ蒸留所ほか ・ ブレンデッド ・ NAS ・ 40%
数字は人によって幅がある。同じ記事で、グレンアラヒーのビリー・ウォーカーは週に250〜300、インドのアムルット蒸留所のアショック・チョカリンガムは1日およそ10ほどと語る。サントリーのチーフブレンダー・福與伸二が率いるチームは、年間およそ3万のサンプルを嗅ぎ、評価しているという。
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響 ジャパニーズハーモニーHibiki Japanese Harmony
🇯🇵 日本 ・ 山崎蒸溜所ほか ・ ブレンデッド ・ NAS ・ 43%
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いずれにせよ、これを毎回飲み込んでいたら、身体も感覚も一日ももたない。造り手が「飲まない」のは、禁欲の姿勢というより、単純に仕事の量と釣り合わないからだ。ブレンダーという職業そのものについてはなぜウイスキーには「マスターブレンダー」という職人がいるのかでも掘り下げている。
もうひとつ、造り手の机の上でいつも起きているのが「薄める」ことだ。
『Whisky Advocate』が複数の造り手に聞いたところ、評価のときにグラスへ注がれる度数は、おおむね20%から30%あたりに収まり、40%はむしろ例外的だった。シーバスリーガルを長年手がけた前任のマスターブレンダー、コリン・スコットのブレンディング・ラボを訪ねた『Whisky Magazine』の記事でも、机に並べられたニューメイク(樽に入る前の無色透明な原酒)は9種類すべてが「20%に落とされている」と書かれている。少なくともニューメイクの評価では、20%が基準の一点になっているわけだ。
理由はシンプルで、アルコールが強すぎると、香りを嗅ぎ取る邪魔になるからだ。高い度数の液体に鼻を近づけると、エタノールの刺激が先に立って、その奥にある繊細な香りが分からなくなる。度数を落とすと刺激が引き、隠れていた要素が立ち上がってくる。
この「加水で香りが開く」現象には分子レベルの研究もあり、詳しくはなぜウイスキーは水を一滴垂らすと香りが開くのかでまとめている。造り手にとってこれは風流な作法ではなく、何百というサンプルを同じ条件で裁くための実務上の必要から来ている。
ただし、全員が同じではない。ダルモアやジュラを手がけるワイト・アンド・マッケイのリチャード・パターソンは、加水のタイミングに独自の流儀を持っている。「まずストレートで嗅ぎ、それから熟成年数に応じて加水する。30年から64年ものなら、水を足さないようにしている。それは酒を殺してしまう」——長熟のものほど、加水には慎重になる。そういう話だ。
ダルモア 12年The Dalmore 12 Year Old
🏴 スコットランド ・ ダルモア蒸留所 ・ シングルモルト ・ 12年 ・ 40%
ここが面白いところで、同じ記事のなかでも、造り手の答えには濃淡がある。
飲み込む派の筆頭がパターソンだ。「性格を余さずつかむには、飲み込まなければならない。後味があるからこそ、隠れた宝物を探り出せる。結局のところ、消費者は嗅ぐためにボトルを買うのではない——味こそがすべてなのだ」。同僚のグレッグ・グラスも「もちろん飲む。私たちは楽しむためのウイスキーを造っている」と即答している。福與伸二も「香りや味わいのなかには、口全体を使わないと見つからないものがある」と同調する側だ。
一方、フォアローゼズのマスターディスティラー、ブレント・エリオットは「めったに飲み込まない。ただし、ある製品の最終ブレンド評価では、香りから余韻まで丸ごと評価することが重要になる」と条件付きだ。バレル・クラフト・スピリッツのジョー・ビートリスも「味わうより嗅ぐほうが多い。できるだけ少ない量で風味を読み取れるよう舌を訓練してきた」と言う。
つまり実像は「造り手は絶対に飲まない」ではなく、大半の作業は鼻で片づけ、口に含むのは最終確認など限られた場面に絞る、というあたりに落ち着く。1,500対1という比率は、その配分の結果である。
評価が行われる部屋の管理も徹底している。
英国のウイスキー専門サイト『Scotch Whisky』の記事によれば、ウィリアム・グラント&サンズでは、テイスティングルームに余計な匂いがあってはならず、アフターシェーブや香水の使用が禁じられている。同社のパネル候補者は16種類の香りをブラインドで言い当てるテストを受け、それに通ると今度は10倍に薄めたサンプルで、ごく低い濃度でも同じように嗅ぎ分けられるかを試される。マスターブレンダーのブライアン・キンズマンによれば、1回のセッションで熟成原酒を含む25〜30のサンプルを扱うこともあるという。同じ記事では、ザ・フェイマスグラウスが取材当時40人規模の官能評価パネルを運用していたことも紹介されている。
このブランドのマスターブレンダーを2016年から務めたカースティーン・キャンベル(2019年にザ・マッカランのマスターウイスキーメーカーへ転じた)は、日々の実務では8人のノージングパネルとともに、ブラインドでサンプルを評価していた。同サイトの別の記事によれば、取材された日にキャンベルが嗅いだのは82樽——それでようやく、そのバッチのモルト部分の3分の1。バッチ全体はおよそ1,000樽にのぼる。
フェイマスグラウスThe Famous Grouse
🏴 スコットランド ・ ザ・マッカラン蒸留所ほか ・ ブレンデッド ・ NAS ・ 40%
管理は身体にまで及ぶ。ミクターズで熟成を統括するアンドレア・ウィルソンは、体調不良や睡眠不足、服薬が評価に影響することに触れたうえで、「夕食にペストを選んだというだけで、日々のテイスティングから外されることもある」と話している。前夜の一皿が、翌日の持ち場を左右する世界なのだ。
時間帯については、意見が分かれつつも「朝が効く」という感覚は共有されているようだ。ハイラム・ウォーカーのドン・リバモアは「製造の都合で早朝の評価が必須になる」と言い、ビリー・ウォーカーは朝こそ味覚が澄み、感覚神経と脳のつながりが最も高まっていると語る。一方でコンパスボックスのジェームズ・サクソンは、朝型ではあるものの「むしろ室温と、食事とのあいだにどれだけ間を空けるかの問題だ」と言う。
こうした流儀は、そのまま真似する必要はない。私たちがウイスキーを買うのは、嗅ぐためではなく飲むためだからだ。それでも、持ち帰れるものが三つある。
ひとつは、薄めてみること。たとえば60%のカスクストレングスなら、同量の水を足せば30%前後、ウイスキーの2倍量の水を入れれば20%前後になる。プロが判断に使うのと同じ帯まで落として、そのウイスキーが何を隠していたかを確かめられる。
ふたつめは、グラスを選ぶこと。造り手のあいだで最も支持が厚いのは脚付きのコピータ、次いでグレンケアンだった。香りを集めるかたちの器は、それだけで受け取れる情報量が変わる(ウイスキーグラスの選び方)。
みっつめは、匂いの環境を整えること。香水を控え、食事から少し時間を空けるだけで、同じ一杯の見え方は変わる。
造り手が「飲まない」のは、ウイスキーを軽んじているからではない。個人で週に1,500、チームで年に3万というサンプルを、同じ精度で裁き続けるための現実的な方法が、20〜30%まで薄めて鼻で読む、という手順だったということだ。そのうえで、最後にひと口だけ含んで確かめる人もいれば、含まない人もいる。
私たちは、その全部を一杯でやっていい。急がず、少し水を垂らして、時間をかけて嗅ぐ。造り手が1,500分の1の頻度でしか口に含まないその一口を、私たちは毎回味わえる。テイスティングの手順そのものはウイスキーテイスティングの基本にまとめてあるので、次の一杯からぜひ試してみてほしい。
フェイマスグラウスThe Famous Grouse
🏴 スコットランド ・ ザ・マッカラン蒸留所ほか ・ ブレンデッド ・ NAS ・ 40%
バランタイン ファイネストBallantine's Finest
🏴 スコットランド ・ ミルトンダフ蒸留所ほか ・ ブレンデッド ・ NAS ・ 40%
市販ウイスキー14本を官能評価と化学分析にかけ、マンゴー香の弱い一本に加えて確かめる。そうして挙がった三つは、アルデヒド二つとアセタール一つだった。どれも単体では、誰も「マンゴー」とは呼んでいない。