本文へ移動なぜ蒸溜所は「水が命」と言いながら、最後に足す水からはミネラルを抜くのか——40%の一本の3割前後は、瓶詰めの日に注がれた水 | Malt Note蒸溜所を訪ねると、話はたいてい水から始まる。花崗岩の層を抜けてきた湧き水、ピートを通って琥珀に染まった川、森の下を流れる伏流水。ガイドは誇らしげに「この水があるから、この味なのです」と言い、私たちもそれを信じてグラスを傾ける。
ところが、その原酒が瓶に詰められる直前になると、作法は反転する。瓶詰めのために加える水からは、カルシウムもマグネシウムも、ミネラルと呼ばれるものをほぼすべて抜いておく——それが業界の標準的なやり方だ。しかもその「ほとんど何も入っていない水」は、瓶の中身のかなりの部分を占めている。
なぜ、水を命だと語る産業が、仕上げの一手では水から個性を削ぎ落とすのか。
まず、量の話をしておきたい。
スコッチは慣例として63.5%前後で樽に詰められる。そこから10年、12年と眠るあいだに、涼しく湿ったスコットランドの熟成庫ではアルコールのほうが水より速く抜けていくため、度数はゆっくり下がる。10年から12年ほど寝かせた樽の中身は、おおむね55〜60%といったところだ(樽の種類、熟成庫の場所や高さでかなり幅がある。この上下についてはなぜ同じ日に詰めた樽が、倉庫の「何階に置かれたか」で別の酒になるのかで書いた)。
これを、店頭に並ぶ40%まで下げるとどうなるか。
度数とは「液体全体に対する純アルコールの体積の割合」だから、計算は難しくない。60%の原酒1リットルには、純アルコールが0.6リットル入っている。これを40%にするには、全体を1.5リットルにすればいい。増えた0.5リットルが、瓶詰めのときに足された水だ。樽出しが55%だったなら、1リットルが約1.375リットルになる。
つまり40%で瓶詰めされた一本は、液体のおよそ3割弱から3分の1が加水ということになる。厳密にはエタノールと水を混ぜると体積がわずかに縮むので(収縮が最大に近い50対50で混ぜると、100mLにならず96〜97mL程度にしかならない)、実際にタンクへ注ぐ水はこの計算より少し多い。
ザ・グレンリベット 12年The Glenlivet 12 Year Old
🏴 スコットランド ・ ザ・グレンリベット蒸留所 ・ シングルモルト ・ 12年 ・ 40%
樽が働いた12年に比べれば、この加水はほんの数分の作業だ。それでも、グラスに注がれる液体の3割前後は、その数分で決まっている。
スコッチには、足してよいものがほとんどない。
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スプリングバンク 10年Springbank 10 Year Old
🏴 スコットランド ・ スプリングバンク蒸留所 ・ シングルモルト ・ 10年 ・ 46%
ここで気づいてほしいのは、条文が「どんな水か」を一言も定めていないことだ。蒸溜所の水源から引かねばならないとも、精製しろとも書いていない。
にもかかわらず、実務ではミネラルを抜いた水が使われる。法が命じたからではなく、造り手が困った経験の末にたどり着いた答えなのだ。
樽の内側から、ウイスキーはさまざまなものを引き出す。琥珀の色、バニラの香り、心地よい渋み。そのなかに、シュウ酸がある。木から溶け出す、ごく微量の酸だ。
この二つが出会うと、シュウ酸カルシウムという塩ができる。やっかいなのは、これが水にもアルコールにもきわめて溶けにくいことだ。いったん結晶になってしまえば、温めても振っても消えてくれない。
専門メディア Scotchwhisky.com に「ウイスキー・プロフェッサー」名義で載った解説(2017年4月3日)は、この点をはっきり書いている。瓶詰め前の加水に使う水は脱塩されているべきで、カルシウムやマグネシウムが多いとフロック(凝集物)の生成を促す、と。同じ解説は、十分に処理されていない濾過用フィルターシートからカルシウムが溶け出す場合もあると付け加えている。
化学の博士号を持つハインツ・ヴァインベルガーがグレンアラヒー蒸溜所のサイトに寄せた解説(2020年11月27日)も、樽材由来のシュウ酸と、加水に使う水のカルシウムイオンが反応して不可逆のフロックになると説明し、樽出し度数から瓶詰め度数へ下げる際に脱塩水を使えば、これを大きく抑えられるとしている。
膜や樹脂で水からカルシウムを抜くのは、この結晶を避けることが大きな理由のひとつだ(加水用の水処理設備は、脱塩に加えて、前段のフィルターで塩素や微粒子も落とし、水質を季節でぶれさせない役目も担っている)。いずれにせよ、風味を良くするための工程ではない。一年後、二年後の棚で、瓶が濁ったり底に何かが沈んだりしないようにするための、守りの工程である。
ひとつめは、氷や水を落としたときにふっと白くなる、あの濁りだ。正体は長鎖脂肪酸のエステルで、温度が戻れば消える。可逆的だから、対処法も「瓶詰め前に冷やして漉す」——つまり冷却濾過になる。この話はなぜウイスキーは冷えると白く濁るのかで詳しく書いた。
ふたつめが、いま見てきたシュウ酸カルシウムだ。こちらは戻らない。しかも厄介なことに、瓶に詰めたあとで時間をかけて育つ。瓶詰め前に濾しただけでは根本的な解決にならず、原因となるカルシウムを水の側から先に減らしておくしかない。
ウイスキーの市場分析を手がけるレアウイスキー101のアンディ・シンプソンが2014年に公開した解説によれば、加水でカルシウムが持ち込まれた場合、シュウ酸カルシウムが析出するまでに一年かかることもあり、結晶が肉眼で見える大きさに育つには数か月から数年を要する。長期熟成のシェリー樽もの、とくにスパニッシュオークの樽で多く、マッカランの25年アニバーサリーや30年、ダルモアの40年、1930〜60年代のゴードン&マクファイルなどが例として挙げられている。
同じ解説は、この結晶が身体に害を及ぼさないことも押さえている。ウイスキー中の含有量はおよそ1〜10mg/L。同じ記事はチョコレートを1,400mg/L相当、紅茶を330mg/Lと並べており、桁が違う。古いボトルの底で光る小さな粒は、欠陥というより、樽が長く働いた証拠に近い。
アベラワー アブーナAberlour A'bunadh
🏴 スコットランド ・ アベラワー蒸留所 ・ シングルモルト ・ NAS ・ 60%
カスクストレングス
シェリー樽で育て、加水せずに60%のまま詰めるこの一本には、割り水が一滴も入っていない。カルシウムが入り込む主要な経路が、ひとつ消えているわけだ(樽や原酒の側にもカルシウムはあるので、結晶が絶対に出ないという保証にはならない)。
「それは大手の話で、こだわりの蒸溜所は地元の水でそのまま割っているのでは」と思うかもしれない。
キャンベルタウンのスプリングバンクは、フロアモルティングから蒸留、熟成、瓶詰めまでを一つの敷地で完結させる、スコットランドでほぼ唯一の蒸溜所だ(この話はなぜあなたのシングルモルトは、蒸溜所ではない場所で瓶に詰められているのかで書いた)。水も地元から引いている。
その蒸溜所にも、濾材メーカーのFilederが公開している事例紹介によれば、加水用の逆浸透(RO)装置と、その前段のセディメントフィルター・カーボンフィルターが入っている。つまり「地元の水で薄めている」のではなく、「地元の水からミネラルを抜いたもので薄めている」。
自前主義を貫く蒸溜所ですら、最後の水は作り直す。それくらい、この工程は思想ではなく実務なのだ。
スプリングバンク 10年Springbank 10 Year Old
🏴 スコットランド ・ スプリングバンク蒸留所 ・ シングルモルト ・ 10年 ・ 46%
46%で瓶詰めされるこの一本も、その水で度数を下げている一本ということになる。
そうではない。水が効く場面が、宣伝文句とは少しずれているだけだ。
水が製品に関わるのは、麦芽を糖に変える糖化と、酵母が糖を食べる発酵、そしてこの瓶詰めの加水の三つである。蒸留という工程は、水に溶けていたミネラルの大半を釜に置き去りにするので、仕込み水の個性はそもそも留液までたどり着きにくい——このあたりは別稿なぜウイスキーづくりには「水」がそんなに大切だと言われるのかに譲る。ちなみに蒸溜所が最も大量に使うのは冷却水だが、こちらは製品には一滴も入らない。
そう考えると、瓶詰めの割り水に求められる役割もはっきりする。ここでの水の仕事は、香りを足すことではない。12年かけて樽が積み上げたものを、何も足さず、何も壊さずに薄めることだ。個性のない水こそが、その仕事にいちばん向いている。
こうして見ると、カスクストレングスという選択の意味も少し変わって見えてくる。
樽から出したまま、加水せずに詰める一本には、割り水にまつわる問題がない。度数の高さは強さの誇示というより、「薄めていない」ことの結果だ。飲み手が自分のグラスの上で、好きな水を好きなだけ落とせる自由もついてくる(このスタイルが愛される理由はなぜカスクストレングスは愛好家を惹きつけるのかに書いた)。
なお、家で水道水を一滴落とすくらいは何の問題もない。結晶が育つには一年単位の時間がかかるので、飲み干すまでのグラスの上では起こりようがないからだ。造り手が神経を尖らせているのは、棚で何年も待つ瓶の話である。
次に蒸溜所の映像で澄んだ水源を見たら、こう思い出してほしい。あの水は、グラスに届くまでに二度、個性を落としている。一度は蒸留の釜にミネラルを置き去りにされ、もう一度は膜の手前でミネラルを足止めされて。
それでも造り手が水源のそばに建ち続けるのは、水が味の魔法だからではなく、水がなければ一滴も造れないからだ。ラベルに書かれないその現実のほうが、私にはよほどウイスキーらしく思える。
アベラワー アブーナAberlour A'bunadh
🏴 スコットランド ・ アベラワー蒸留所 ・ シングルモルト ・ NAS ・ 60%
カスクストレングス
ザ・グレンリベット 12年The Glenlivet 12 Year Old
🏴 スコットランド ・ ザ・グレンリベット蒸留所 ・ シングルモルト ・ 12年 ・ 40%
市販ウイスキー14本を官能評価と化学分析にかけ、マンゴー香の弱い一本に加えて確かめる。そうして挙がった三つは、アルデヒド二つとアセタール一つだった。どれも単体では、誰も「マンゴー」とは呼んでいない。