なぜウイスキーの造り手は、大学で「蒸溜」を学べるのか——竹鶴が渡った1918年、エディンバラにはすでにその課程があった
蒸溜所の造り手はどこで学ぶのか。エディンバラには、ウイスキーの造り方で学士から博士まで取れる場所がある。1918年の竹鶴政孝がグラスゴーで得られなかったものと、その教育を一つの拠点にまとめた教授の話。
蒸溜所を訪ねると、スチルの前に立った人が、当たり前のような顔で説明を始める。発酵は何時間まわすのか。カットをどこで取るのか。どの樽をどう組み合わせるのか。
聞きながら、いつも同じことを思う。この人は、これをどこで習ったのだろう。
蒸溜所の持ち場には、マッシュマンやスチルマンといった名前がついている。では、その持ち場に立つ前、彼らはどこにいたのか。
答えのひとつは、拍子抜けするほど普通の場所にある。大学だ。エディンバラには、ウイスキーの造り方で学士から博士まで取れる場所がある。しかもそれは、最近できたものではない。
竹鶴が渡った1918年、その課程は開設から15年が過ぎていた
先に、意外な時系列を置いておきたい。
ヘリオット・ワット大学は、醸造と蒸溜の教育・研究を1903年から続けていると自ら記している。つまり竹鶴政孝がスコットランドに着いた1918年12月の時点で、エディンバラのヘリオット・ワット・カレッジ(大学への昇格は1966年)は、その看板を掲げてから15年が経っていたことになる。
しかし竹鶴が向かったのはグラスゴーだった。彼はグラスゴー大学で有機化学を聴講し、グラスゴー王立工科大学(現ストラスクライド大学)でも化学の授業を受けたと伝えられる。当時グラスゴー大学の有機化学を担っていたのは、1919年に新設されたガーディナー有機化学講座の初代教授トーマス・スチュワート・パターソンである。
ただ、その講義は目的に届かなかったとされる。内容は日本ですでに学んだものと重なり、ウイスキー造りに直接効くものは乏しかった、と。
彼は並行して、蒸溜所の現場へも入り込んでいる。1919年4月、スペイサイドのロングモーン蒸溜所に頼み込んで実習に入る。7月にはジェームズ・コールダー社のボーネス蒸溜所へ、翌1920年にはキャンベルタウンのヘーゼルバーン蒸溜所へ。1920年に日本へ帰るまで、彼が本当に学んだのは教室ではなく蒸溜所の床の上だった。持ち帰ったのは学位ではなく、二冊のノートである。
エディンバラに学べる場所があったのに、彼はそこには行かなかった。なぜかは分からない。ただ、当時のその課程がどこまで「ウイスキー」に踏み込んでいたのかも、いまとなっては測りにくい。
1989年、それが一つの拠点になった
1903年から続いていたその教育が、一つの名前を持つ拠点にまとまったのが1989年である。国際醸造蒸溜センター(ICBD)という。
この1989年には、もう一つの出来事が重なっている。ジェフ・パーマーが、スコットランドで初めての黒人教授になった年である。そして拠点づくりの旗を振ったのも、彼だった。
パーマーは1940年4月9日、ジャマイカのセント・エリザベスに生まれた。1955年、14歳でロンドンへ渡る。ウィンドラッシュ世代の一人である。1961年にレスター大学へ進んで植物学の学位を得ると、1964年にエディンバラへ移った。ヘリオット・ワット・カレッジとエディンバラ大学の共同で穀物科学の博士課程に進み、1967年に学位を取得している。
1968年から77年まではサリーの醸造研究財団に在籍し、大麦の外皮を削って製麦を速める「バーレイ・アブレイジョン(大麦研磨)」の手法を確立した。走査型電子顕微鏡で穀粒の内部を覗いた最初期の一人でもある。
1977年、講師としてヘリオット・ワットへ戻る。大学自身の追悼文は、彼について「業界からの資金を取りつけてICBDの設立にこぎつけた」と書いている。
パーマーは2005年に退職し、2014年に人権・科学・慈善への貢献でナイトに叙され、2021年からは大学の名誉職の最高位である総長(Chancellor)を務めた。2025年6月11日、85歳で亡くなっている。
いま、そこで学べること
現在のICBDは、学士から博士までを一続きで用意している。
学部には優等学士課程(BSc Hons)のブリューイング・アンド・ディスティリングがあり、大学は「英国でこの種の学部課程はここだけ」と説明している。学生が使うのは学内の醸造設備、蒸溜設備、そして精留の実験室だ。座学だけで終わらせない構えである。
大学院にはMScブリューイング・アンド・ディスティリング、起業を組み合わせたコース、そしてサステナビリティに軸を置いたMScアドバンスト・サステナビリティ・フォー・ブリューイング・アンド・ディスティリングが並ぶ。その先に博士課程がある。
大学に行かなくても、階段はある
とはいえ、現場の人間がみな数年間キャンパスに通えるわけではない。
そこを埋めているのが、英国の勅許醸造家・蒸溜家協会(CIBD。旧・醸造蒸溜協会=IBD)が組んだ資格の体系だ。技術職以外にも開かれた「ファンダメンタルズ・オブ・ディスティリング」から始まり、蒸溜の全工程に品質やサステナビリティまで含む「ジェネラル・サーティフィケート・イン・ディスティリング」、三つのモジュールからなる「ディプロマ・イン・ディスティリング」と積み上がっていく。協会はディプロマを、大規模蒸溜所のマネージャーや小規模独立蒸溜所のヘッドディスティラーに見合う水準だと位置づけている。
その頂点が「マスター・ディスティラー」で、協会はこれを蒸溜生産の技術管理における世界最高位の認定だと説明している(自らの説明である点は割り引いて読みたい)。
飲み手の側に検定やコニサー、マスター・オブ・ウイスキーといった資格があるように、造り手の側にも別の階段が組まれている。
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