南極で3年寝かせたウイスキーが戻ってきた——マイナス35度で何が起きたのかは、いま測られている
アルゼンチンの家族蒸溜所が、2つの樽を軍用機で南極へ送った。マイナス35度の小屋で3年。造り手は蒸発が抑えられたようだと言うが、確かめるには度数を測るしかない。8つの大陸を比べる分析が2026年7月に始まった。
樽を2つ、輸送機に積み込む。行き先は南極。
2022年11月、アルゼンチン国防省と軍の協力で、ロッキードC-130ハーキュリーズがバーボン樽2つを載せて南へ飛んだ。中身は、パタゴニアの家族蒸溜所が5年かけて育てたシングルモルトである。降ろされたのは、南極半島の東に浮かぶ島に置かれたマランビオ基地。樽はそこの、断熱もされていない小屋に据えられた。
戻ってきたのは2025年10月。3年のあいだ、樽はマイナス35度からプラス10度を行き来し、外側には霜が張りついていた。
「イスラ・マランビオ(Isla Marambio)」と名づけられたこの一本は、世界で初めて南極で熟成させたウイスキーだと紹介されている。ただ、いちばん正直な言い方をすると——寒さが何をしたのかは、いままさに測られているところである。
パタゴニアの家族が、樽を2つ南へ送った
造り手はラ・アラサナ(La Alazana)。2011年にセレネッリ家がアルゼンチン・チュブ州のラス・ゴロンドリーナス、アンデスの山あいに立ち上げた小さな農場蒸溜所で、公式サイトで自ら「アルゼンチン初のシングルモルト」を名乗っている。
南極へ送られた原酒は、まずバージンオーク(新樽)で5年寝かされた。それをメーカーズマークの空き樽——一度バーボンを熟成させたアメリカンオーク——に詰め替えてから、船ではなく軍用機で運んでいる。年数の合計は8年。うち3年が南極である。
置き場所となったマランビオ基地は、アルゼンチンが南極半島の東、セイモア島(アルゼンチンでの呼称はマランビオ島)に構える通年基地だ。ウイスキーの熟成庫として設計された建物ではもちろんない。
マイナス35度で、樽の中身は凍らないのか
まず、多くの人が引っかかるところから片づけたい。凍らないのか。
ウイスキーが凍る温度は、度数で決まる。エタノールが混ざるほど水分子どうしが結びつきにくくなり、凝固点は下がっていく。この仕組みはなぜウイスキーは冷凍庫に入れても凍らないのかで扱った。
そして、この問いにはちょうどいい実測値が残っている。1907年のシャクルトン隊が南極に置き去りにし、100年後に氷の下から掘り出されたマッキンレーのウイスキーだ。分析論文は、度数47.19%のこの液体の凝固点を**マイナス34.3度(誤差±1.53度)**と測っている。同じ論文は、瓶が眠っていたケープロイズの小屋の温度も記録していて、冬でマイナス32.5度、屋外の最低はマイナス42.1度だった(この分析そのものについてはなぜ南極の氷の下で100年眠っていたウイスキーは、19世紀末スコッチの「常識」に収まらなかったのかに詳しい)。
つまり瓶詰めの度数帯なら、南極の冬は凍る側にぎりぎり触れる温度帯なのだ。
ただし、樽の中身は瓶詰めより度数が高いのが普通である。度数が高ければ凝固点はさらに下がる。ラ・アラサナは樽入れ時の度数を公表していないので断定はできないが、マイナス35度で樽ごと凍りついた、という絵ではおそらくない。
低温がもうひとつ起こしうるのが、白濁である。ウイスキーを冷やすと濁るあの現象で、正体は長鎖脂肪酸とそのエステル類が溶けきれなくなって析出することだ。ただしなぜウイスキーは冷えると白く濁るのかに書いたとおり、境目はおよそ46%とされ、それを超える度数なら低温でも溶けたままとどまりやすい。しかもこの経験則は、瓶詰め前に0度前後まで冷やす前提のものである。マイナス35度でも同じ線が引けるのかは、分からない。
析出が起きたのか、起きたとして温度が戻ったときに溶け直したのか。観察の記録は、残っていない。
「寒いと熟成は遅い」で終わらない理由
熟成と温度の関係は、長らく「暑いほど速い」で語られてきた。台湾のカバランは宜蘭での1年がスコットランドの4〜5年に相当すると説明し、インドのアムルットもバンガロールの1年はおよそ3年分だと語る(なぜ台湾やインドのウイスキーは、短い熟成でも高く評価されるのか)。
南極はその正反対の極にある。だから熟成もほとんど進まなかったはずだ——と言いたくなる。だが、そう単純でもない。
このコラムの関連
関連するボトル


次に読む

オーガニックのウイスキーは、どこまでが有機なのか——認証が見ているのは畑で、味を決める樽は範囲の外にある
「オーガニック」と書かれたウイスキーが保証しているのは大麦の育て方で、香味を決める樽は多くの認証で対象外。中古樽のまま認証を保つ造り手と、樽まで有機にした造り手がいる。日本では2025年10月に表示の条件も変わった。

ウイスキーはヴィーガンなのか——グルテンは蒸留器が置いていったが、この問いは樽の前歴に残る
原料は穀物と水と酵母。それでも「ウイスキーはヴィーガンか」という問いは消えない。グルテンと違い、蒸留ではこの問いに答えが出ないからだ。清澄という工程と、シェリー・ポート・ビールという樽ごとに異なる前歴を辿る。






