「アイリッシュは3回、スコッチは2回」という説明は、この二本を並べた時点で崩れます。回数が酒質に何をするのかは三回蒸留となぜウイスキーの蒸留は「2回」が基本なのかに、オーヘントッシャンがその道を選び続ける理由はなぜオーヘントッシャンは「三回蒸留」を守り続けるのかに書きました。
同じことがピートにも言えます。どちらの規定にも、ピートの可否は一行も書かれていません。
技術ファイルはモルト・アイリッシュウイスキーについて、使う麦芽は「ノンピート、またはピーテッドの性格を持つ」ものと、両方を認めています。ポットスチルの項に「現在はノンピートの麦芽」とあるのも、現状を述べた記述であって禁止ではありません。実際、コネマラはピーテッドのアイリッシュとして定着しています。
ピートが香りに何をするのかはピート(泥炭)に整理しています。
蒸溜回数もピートも書いていないなら、二つの条文はどこで分かれているのか。
まず、いちばん分かりやすい線は土地です。スコッチはスコットランドの蒸溜所で蒸溜し、スコットランドで3年以上寝かせること。アイリッシュについては、技術ファイルが地理的範囲を「北アイルランドを含むアイルランド島」と明記しています。北アイルランドは英国です。つまりブッシュミルズ蒸留所は英国内にありながら、スコッチではなくアイリッシュウイスキーを名乗る。国境ではなく島の輪郭で線が引かれているわけです。
ここからが、あまり知られていない差です。
樽の材。スコッチは「オーク樽(700リットル以下)」。アイリッシュは「木製の樽、たとえばオーク(700リットル以下)」。容量の上限は同じなのに、材の指定だけが違います。これは読み手の深読みではありません。技術ファイル自身が、アイリッシュの特徴を説明する箇所で「アイリッシュウイスキーの熟成には木製の樽が使えるのに対し、スコッチウイスキーはオーク樽で熟成しなければならない」と、わざわざ比較して書いています。ただし文言が木材一般に開いているだけで、同じファイルの別の節は「アイリッシュウイスキーはオーク樽での熟成によって色を得る」と、オークを前提に説明しています。制度は開いていても、実態の中心はオークだと読むのが妥当でしょう。
原料の麦芽。スコッチは「水と大麦の麦芽(他の穀物は全粒であれば加えてよい)」と限定します。アイリッシュは「麦芽にした穀物(他の穀物の全粒を加えても加えなくてもよい)」。麦芽にする穀物が大麦に限られていません。
糖化の酵素。スコッチは糖化を「内在する酵素だけで」行うよう定めます。アイリッシュは「麦芽のジアスターゼによって糖化する。他の天然の酵素を用いても用いなくてもよい」。外から酵素を足せるかどうかが、正面から分かれています。
工程を行う場所の単位。スコッチは、仕込み・糖化・発酵まで「その蒸溜所で」と繰り返し指定します。アイリッシュは仕込み・発酵・蒸溜・熟成の4段階を島内で行えばよく、蒸溜所単位の縛りは「シングル」を名乗るときにかかります。瓶詰めについても、アイリッシュは島の外で行って構いません(バルクで運び、現地で加水・瓶詰めする。その際の水は脱ミネラル水と定められています)。対してスコッチは、シングルモルトに限り瓶でしか国外へ出られません(なぜスコッチは、スコットランドの外で熟成してはいけないのか)。
こうして並べると、縛りの量ではなく方向が違うことが見えてきます。スコッチが押さえているのは原料と、工程を行う場所。一方のアイリッシュも中身に手を出していないわけではなく、品目ごとに蒸溜機を指定し(ポットスチルとモルトは単式蒸溜器、グレーンは連続式のみ)、スピリッツの風味をアイリッシュらしくないものに変えてしまうようなスチルの設計・使用の変更は認めない、という条項まで持っています。冷却濾過についても「濁りの防止だけを目的とし、色や風味、香りを取り除くために使ってはならない」と目的を限定しています。スコッチは入口(原料と場所)を、アイリッシュは道具と仕上げを押さえている——そう整理したほうが実態に近いようです。
なお、スコッチがこの数年で緩めてきたのは「樽に以前何が入っていたか」の範囲でした(なぜスコッチは、テキーラの樽で仕上げた一本が棚に並ぶのに、ジンの樽ではだめなのか)。スコッチが広げているのは中身の履歴で、アイリッシュが開いているのは木そのもの。緩んでいる場所が違います。樽の大きさが効く仕組みは樽のサイズにまとめました。
もう一つ、スコッチに対応するものがない領域があります。穀物の配合を数字で定めている点です。
代表がポットスチル・アイリッシュウイスキー。定義そのものに、麦芽にした大麦を最低30%、**発芽させていない大麦を最低30%**と書き込まれています(オーツ麦やライ麦などを5%まで加えてよい、というのは製造工程の説明に置かれた記述です)。スコッチにこのカテゴリーは存在しません。
グレーン・アイリッシュウイスキーにも数字があります。麦芽大麦は30%を超えないこと。スコッチのシングルグレーンに、これに当たる上限規定はありません。
未発芽大麦がもたらすスパイス感と、とろりとした口当たりは、麦芽大麦だけで造るスコッチのシングルモルトからは出てきません。つまり「アイリッシュらしさ」のうち条文が守っているのは、なめらかさという印象ではなく、この配合を持つ独自カテゴリーがあることのほうです。味の側の理屈はなぜアイリッシュウイスキーはスコッチと味わいが違うのかに、代表格についてはなぜレッドブレストは「シングルポットスチルの王」と呼ばれるのかに譲ります。
ちなみに技術ファイルは、官能特性の欄に「スムーズでソフト、まろやか」と書いています。ただしこれは製品の特徴を述べた記述であって、造り方を縛る要件ではありません。なめらかさを謳いながら、それを生む3回蒸溜は義務づけない。 このねじれが、2回蒸溜やピーテッドのアイリッシュが堂々と存在できる余地になっています。よく語られる違いが条文に見当たらないのは、そもそもどちらの条文も、味の作り方までは指定しない設計になっているからです。
ここまで分かると、選ぶときの判断はむしろ単純になります。
- Single Pot Still とあれば、配合が条文で定められたアイルランド固有の造り。スコッチでは代替できない一本です
- Single Malt なら、原料は同じ(どちらも麦芽大麦100%)。差が出るのは蒸溜回数と樽の設計、そして糖化に外部の酵素を使えるかどうか
- Blended は複数のタイプを掛け合わせた設計。スコッチのブレンデッドがモルトとグレーンの組み合わせを前提とするのに対し、アイリッシュはモルトとポットスチルだけを合わせた形も認められています
- 「アイリッシュだからスモーキーではない」は成り立ちません。煙が欲しければ選択肢はあります
ラベルの綴りが whiskey と whisky で揺れるのも、法律ではなく慣習の問題です。技術ファイルは "Irish Whiskey / Uisce Beatha Eireannach / Irish Whisky" と、両方の綴りを正式名称として登録しています(なぜウイスキーには「whisky」と「whiskey」の二つの綴りがあるのか)。
- 主要な数値要件——蒸溜度数・熟成年数・樽の容量・最低度数・添加物——は、両者でほぼ一致している
- 「3回蒸溜」「ノンピート」は、どちらの条文にも書かれていない。蒸溜回数は蒸溜所の裁量だと技術ファイル自身が明記している
- 条文が分かれるのは、土地と樽の材、原料にする麦芽の穀種、糖化に使う酵素、工程を行う場所の単位。加えてアイリッシュ側は蒸溜機と冷却濾過にも条件を置いている
- アイリッシュに固有なのは、穀物の配合を数字で定めていること(ポットスチルの麦芽大麦30%以上・未発芽大麦30%以上、グレーンの麦芽大麦30%以下)
通説を疑ってかかる必要はありません。ただ、その通説がどこまで制度に支えられているかを知っておくと、例外に出会ったときに慌てずに済みます。アイリッシュの入門はアイリッシュウイスキーのおすすめ9選から、南北の二大定番の比較はジェムソン vs ブッシュミルズからどうぞ。