クラシックモルトの6本とは——1988年に選ばれた「産地の代表」と、シングルモルトが売り物になった日
酒屋やバーで見かける6本組の「クラシックモルト」。これは人気銘柄を寄せ集めたセットではなく、1988年に「産地の代表」として選ばれた6本です。選ばれた背景と顔ぶれ、法律上の5産地とのズレ、いま順に飲む価値までを辿ります。
酒屋の棚やバーの奥に、木の台に載った6本組のボトルが並んでいるのを見たことがあるかもしれない。グレンキンチー、ダルウィニー、クラガンモア、オーバン、タリスカー、ラガヴーリン。「クラシックモルト」と呼ばれるこの6本は、人気銘柄をなんとなく寄せ集めたセットではない。
1988年、ひとつの会社が「スコットランドを産地で切り分け、それぞれの代表を1本ずつ立てる」という発想で選び抜いた顔ぶれだ。そしてこの企画は、シングルモルトという酒の売られ方そのものを変えてしまった。なぜその6本だったのか、そして「6つ」という区切りが法律上の産地区分とどうずれているのかを、順に辿っていきたい。
シングルモルトが「売り物」ではなかった時代
いまでは想像しにくいが、1980年代のスコッチは深刻な不振のただ中にあった。1970年代の造りすぎと世界的な景気後退が重なり、売れ残った在庫は「ウイスキー湖(whisky loch)」と呼ばれるほど積み上がっていた。
当時の業界最大手DCL(ディスティラーズ・カンパニー)は、1983年2月17日、11のモルト蒸溜所と1つのグレーン蒸溜所(カースブリッジ)を閉鎖し、スコットランドで530人を削減すると発表している。この時期に操業を止めた蒸溜所は、業界全体で20軒前後にのぼった。いまや幻の銘柄として高値で取引されるポートエレンやブローラも、この1983年に火を落としている。
そして当時、モルトウイスキーの大半はブレンデッドウイスキーのための原酒だった。蒸溜所の名前がラベルの主役になることはほとんどなく、その個性はブレンドの中に溶けていた。1960年代からグレンフィディックのように単独の銘柄として売り出す先例はあったが、それはまだ例外に近い。
1988年、6本が選ばれた
転機は、会社の再編から来た。ギネス傘下に入ったDCLとアーサー・ベル社が1987年に統合され、ユナイテッド・ディスティラーズ(現在のディアジオの前身にあたる)が生まれる。その翌年の1988年、この新しい会社が売り出したのが「クラシックモルト・オブ・スコットランド」——6本のシングルモルトだった(発売年を1989年とする資料もある)。
面白いのは選び方の発想だ。「よく売れる6本」でも「いちばん高級な6本」でもない。産地ごとの味の違いが伝わるように、地図の上で散らばるように選ばれている。6本はそれぞれ、ひとつの土地の見本として立っているわけだ。
- グレンキンチー(ローランド)……発売時は10年、現在は12年
- ダルウィニー(ハイランド)……15年
- クラガンモア(スペイサイド)……12年
- オーバン(ウェストハイランド)……14年
- タリスカー(スカイ島)……10年
- ラガヴーリン(アイラ)……16年
蒸溜所を閉じ続けていた会社が、その数年後に「モルトは土地ごとに違う、味わい分ける酒だ」と打ち出した。数を減らす一方で、残した蒸溜所の名前を前面に出す——この転換が、いまのシングルモルト市場の出発点のひとつになっている。
6本を、軽いほうから順に
グレンキンチー12年(ローランド)
エディンバラから約24キロ、穀倉地帯イーストロージアンに立つ蒸溜所。ピートをほとんど焚かず、刈りたての草やレモンの皮を思わせる軽やかな香りが持ち味で、ローランドの穏やかさをいちばん素直に映した一本といえる。発売当初は10年表記だったが、2007年に12年へ切り替わった。

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