なぜアメリカ最大級のモータースポーツは、税を逃れたウイスキーから生まれたのか——「誇張だ」と証明するつもりだった歴史家が、掘るほど酒に行き当たった話
NASCARの起源は密造ウイスキーの運び屋にある——出来すぎたこの伝説を、誇張だと証明するつもりで調べ始めた歴史家がいた。彼が行き着いた結論と、1938年のダートコースから始まる、酒と税と車の話。
アメリカ最大級のモータースポーツの起源をたどると、サーキットではなく、深夜の山道と、税金を納めていないウイスキーに行き着く——という話がある。
出来すぎている、と思う。ウイスキーの世界には、こういう「よくできた話」が山ほど転がっていて、その多くは後から誰かが磨き上げたものだ。だから最初は、眉に唾をつけて読むのが正しい態度だと思っていた。
同じことを考えて調べ始めた歴史家がいる。彼は、自分の予想が外れたことを一冊の本にした。
この記事では、その検証を追いながら、なぜ樽に入らない透明なウイスキーが自動車レースを生んだのか、そしてその酒がいまアメリカの棚に合法的に並んでいるのはなぜかまでを見ていく。
話は、戦争より前から始まっている
まず時系列を押さえておきたい。ここを曖昧にすると、この話は途端に怪しくなる。
1938年11月11日、アトランタ南部のレイクウッドにある1マイルのダートオーバルで、ジョージア州初の組織的なストックカーレースが開かれた。勝ったのは1台の1934年型フォードである。車を持っていたのはレイモンド・パークス、整備したのはレッド・ヴォート、ハンドルを握ったのは当時18歳のロイド・シーだった。
パークスはアトランタで酒の商売をしていた人物で、彼のいとこにあたるシーとロイ・ホールは、山から街へ違法な酒を運ぶ役をしていた。つまり車主・整備士・ドライバーが揃って密造酒の商売の内側にいた。この構図は禁酒法(1920〜33年)の記憶がまだ生々しい時代からあり、第二次世界大戦より前に成立している。
シーは1939年以降もフロリダからペンシルベニアまで勝ち続けた。そして1941年9月、密造用の砂糖の代金をめぐる諍いで射殺される。21歳だった。
だから、「戦後の増税がレースを生んだ」と単線で書くのは正しくない。順序は逆で、密造酒の運搬という仕事が先にあり、そこから走る人と車と興行が育っていた。税の話は、その火に油を注いだ側にある。
1938年から1944年で、蒸留酒の税は4倍になった
その油の量を見ておこう。
アメリカの蒸留酒には連邦の物品税がかかる。単位は「プルーフガロン」——アルコール度数50%(100プルーフ)の酒1ガロン(約3.8L)に相当する量、という考え方だ。度数が高いほど、同じ体積でも税は重くなる。
1938年7月1日時点の税率は1プルーフガロンあたり2.25ドルだった。それが戦時に何度かに分けて引き上げられ、1944年4月1日に9.00ドルに達する。6年足らずできっかり4倍である。さらに朝鮮戦争下の1951年に10.50ドルとなり、次の引き上げが決まるのは1984年、実際に上がるのは1985年10月。30年以上、税率は動かなかった。
瓶の中身の原価とはまったく別に、税だけでこれだけ乗る。裏を返せば、その税を納めずに造った酒は、造った瞬間に差額が利益になる。しかも税率が上がるほど、その差額は大きくなる。
アパラチアや南部の山間部で「ムーンシャイン」——月明かりの下で造る酒——が絶えなかったのは、貧しさや反骨精神だけの話ではない。制度が数字で用意した動機があった。州や郡の単位で酒の販売を禁じる「ドライ」の区域が各地に残っていたことも、非合法の供給に居場所を与えた(この地元単位の禁酒についてはジャックダニエルがドライ・カウンティで造られている話に書いた)。
似た構図は大西洋の向こうにもある。スコッチが密造から始まった経緯はこちらの記事で、アメリカが建国まもない時期に酒税をめぐって内乱寸前まで行った件はウイスキー税反乱の記事で書いた。ウイスキーの歴史は、かなりの部分が税の歴史でもある。
追いかけてきたのは、警察ではなく税務署だった
取り締まった側の正体を見ると、この話の性格がはっきりする。
禁酒法が終わった翌年の1934年、財務省の内国歳入庁のなかに**アルコール税ユニット(Alcohol Tax Unit)**が置かれた。名前のとおり、酒税を扱う部署である。禁酒法時代の取締り機能はここへ引き継がれ、組織は形を変えながら1972年7月1日に財務省内でATFとして独立した。さらに2003年1月24日、国土安全保障法によってATFは司法省へ移り、酒税の徴収と規制はTTB(酒類タバコ税貿易管理局)として財務省に残るという形で二つに分かれ、現在に至る。
つまり、山道で密造業者を追っていたのは、道徳を守らせる警察ではなく、取りっぱぐれた税金を追う役人だった。南部で彼らが「レヴェニュアー(revenuer=歳入官)」と呼ばれ、露骨に嫌われたのはそのためだ。
酒と税の距離については、熟成中のウイスキーに税がかからない理由や、19世紀アメリカのウイスキー・リング事件も合わせて読むと輪郭がつかみやすいと思う。
「速い車」ではなく「重い荷を積んで速い車」
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