英国側の制度も見ておくと、この世界の発想がよく分かる。
英国では危険物質及び爆発性雰囲気規則(DSEAR)が、可燃性の蒸気が出うる場所について危険区域を評価し、ゾーンとして文書化することを事業者に求めている。ゾーン0は爆発性の雰囲気が継続的または長時間存在する場所(タンクの内部など)、ゾーン1は通常運転中に生じうる場所(ポンプや通気口のまわりなど)といった具合だ。この区分は、EUのATEX指令に対応する枠組みでもある。
そのうえで、点火源の側を規定するのが欧州規格 EN 1127-1(英国ではBS EN 1127-1:2019として採用)である。この規格は「爆発性雰囲気に火をつけうるもの」を13の類型に分けて数え上げる。高温の表面、静電気、雷、電磁波、断熱圧縮、化学反応——大半は、日常語でいう「火花」ですらない。静電気対策機器のメーカーが公開している蒸溜所向けの資料によれば、醸造・蒸溜の現場では通常そのうち8つが該当し、ただしすべての類型を評価すべきだとされる。
ここが肝心なところだ。この分野の考え方は「危なそうなものを避ける」ではない。火をつけうるものを漏れなく列挙し、一つずつ潰す。列挙が先にあり、個別の判断はそのあとに来る。
ここは正直に書いておきたい。「カメラやスマートフォンが引火させる」という説明は、少なくとも実証のうえでは、思われているほど強くない。
まったく同じ論争がガソリンスタンドにある。IEEE Spectrumの記事によれば、1999年にエクスポネント社が携帯電話の通常使用は無視できる危険だと結論し、同年オクラホマ大学の研究チームも、電波の放射と静電気の両面を試験して発火源としての可能性を否定している。2002年にメキシコ湾の掘削施設で起きた火災では、当初は携帯電話が疑われ、米国の鉱物資源管理局(MMS)が当該機を酸素濃度を高めたプロパンやメタンの雰囲気に置き、電源の入り切りや電池の抜き差しまで試した。混合気は一度も着火しなかった。結局この火災の原因は特定されず、静電気が有力とみられている。
給油所の側からも数字が出ている。米国の業界団体である石油設備協会(PEI)には、1992年から2010年までに、静電気が関係したとみられる給油中の火災が176件報告されている。一方で、同協会には、携帯電話が原因と確認された事例が一件も記録されていない。静電気の典型的な筋書きはこうだ——給油中に車内へ戻り、シートで身体をこすって帯電し、外に出て最初に触れた金属がノズルだった。
だからこの記事は「フラッシュを焚くと爆発する」とは書けない。書けば、ウイスキーの世界にありふれた俗説の側に、自分から回ることになる。
では撮影禁止は過剰なのか。そうではない。理由は少なくとも三つある。
第一に、この分野は「事故の実例が出てから対策する」という思想では動いていない。 先に見たとおり、点火源を13の類型に分けて数え上げ、そのすべてを評価すべきだとされる世界だ。確認された事例がないことは、リストから外す理由にならない。だから撮影の可否も、「カメラで火事が起きた記録があるか」ではなく、「この区域では何を許すか」の側から決まる。
なお、これは非防爆機器の全面持込禁止ではない。グレンフィディックのFAQが制限しているのは撮影という行為であって、機器の所持ではないからだ。つまり危険区域そのものの防爆要件というより、その境目で引かれた運用上の線だと考えたほうが実態に近い——ここは筆者の見立てで、蒸溜所が公表しているものではない。
だからといって恣意的なわけでもない。区域の内側で使われている発想——実例を待たずに線を引く——を、その境目にも一段の余裕として広げているのが、あの一言なのだ。
第二に、静電気こそが本命だからだ。 給油所の調査が指し示したのは、機器の電波ではなく人体の帯電だった。そして写真を撮るという行為は、立ち止まり、上着をこすり、鞄から機材を出し入れするという、静電気を作る動作の集合でもある。撮影を止めることは、副次的にこの動作も止める。
第三に、危険は火だけではない。 ウイスキー専門誌『Whisky Advocate』は、多くの蒸溜所が幼い子どもを製造区域に入れない理由として、火傷するほど高温の金属面、化学的な危険、可燃性・爆発性の蒸気、二酸化炭素、大きな騒音、敷地内を走る大型車両を挙げている。同誌はまた、撮影禁止の範囲が蒸溜所によって違い、製造区域全体のところもあれば、スチルハウスだけ、ときに粉砕室(ミル)も加わる、というところもあること、そして蒸溜所側がその理由を「爆発の危険があるための安全上の措置」と説明していることも書いている。
粉砕室がときに加わるのは偶然ではない。挽かれた麦芽は可燃性の粉塵を出す。粉塵の爆発は蒸気とは着火の条件が違うが、点火源の評価表では静電気も同じ列に並ぶ。蒸気だけでなく、粉も燃える現場なのだ。
こうした厳しさは、机上の想像から来たものではない。
『Whisky Magazine』が蒸溜所の事故史を振り返った記事によれば、1881年の保険業界の報告では、1875年から1880年にかけて保険加入の蒸溜所97軒が焼失している。1904年にはイリノイ州のコーニング蒸溜所で爆発が起き、同誌によれば14人が亡くなった。1996年にはヘヴン・ヒルの熟成庫が、落雷が原因とみられる火災で燃え、9万樽が失われている——それでも「出荷を一日も止めなかった」と同社が語る顛末は別稿にまとめた。1875年のダブリンでは、燃えるウイスキーが文字どおり街路を流れた。
同じ記事は、1980年代以降の大規模な設備拡張期には死亡事故が出ていないとも書く。厳格な安全基準、訓練、設備と設計の改善によるものだ、と。
かつて蒸溜所には、職人に勤務中のドラム(一杯)が配られていた時代がある。もっとも、規律が締め上げられてきた理由は一つではない——たとえばスピリットセーフの施錠は火災対策ではなく、酒税を取りこぼさないための仕組みだった。安全と徴税という別々の動機が、同じ方向に現場を変えてきた。「ここから写真は禁止です」は、その長い積み重ねのいちばん端にある一言なのだ。
最後に実務を書いておく。
- 撮影可否はガイドの指示に従う。 グレンフィディックのFAQがそうであるように、撮っていい位置はあらかじめ決まっていることが多い。「どこなら撮れますか」と聞けば教えてくれる。
- 火気厳禁・全面禁煙は例外なし。 ライターやマッチは、そもそも出さない。
- 底のしっかりした靴で行く。 グレンフィディックは「丈夫な靴」を推奨している。高温の配管、開口部、メッシュ床の段差は本当にあるので、走らない・身を乗り出さないことも合わせて。
- 年齢制限を先に確認する。 グレンフィディックの見学は18歳以上限定、静岡蒸溜所は20歳未満なら保護者同伴と、条件は蒸溜所ごとに違う。
- 車で行く場合は試飲の扱いを事前に確認する。 運転者向けの持ち帰り対応があるかどうかは蒸溜所によって違う。
- 予約と見どころは事前に調べておく。 日本の蒸溜所見学ガイドにまとめてある。そもそも酒を造る工場がなぜ見学者を招き入れるようになったのかという経緯も、知っておくと現場の見え方が変わる。
スチルハウスで写真が撮れないのは、蒸溜所が出し惜しみをしているからではない。あの部屋の空気には、12℃を超えていれば火種ひとつで燃える蒸気が混じっている。日本の法律なら、樽を二本置いただけで危険物施設の線に届く。欧州の規格なら、火をつけうるものを13通りに数え、そのうちたいてい8つが現場に当てはまる。
そして、カメラが引火源になったと確認された事例は、少なくとも公開された調査のなかに見当たらない。にもかかわらず札が下がっているのは、この産業が、実例を待ってから対策する側には二度と立たないと決めたからだ。
銅のスチルの曲線を写真に残せなかったぶん、その場でよく見ておくといい。撮れないという不便さそのものが、目の前の液体がどれほど燃えやすいものかを教えてくれている。